NHK大河ドラマは毎回楽しみにしている番組に一つですが、今回はおんな城主直虎です。
テレビを見たあと、その時の歴史的背景、人物の相関関係などを書物やネットで確認します。
歴史好きなわたし風の解釈ですので歴史上完全ではないとは思いますが
直虎はそんなに有名な人物ではなかったのではないかと思います。当時井伊家の男子がことごとく
戦国の世の動乱に巻き込まれ亡くなり、お家絶滅の危機の折りに、井伊家直系で唯一残った「おとわ」が女性でありながら
城主として国を守り、元いいなづけでありいとこの直親の嫡男虎松(のちの直政、直虎の実子ではない)を養育し、
井伊家のお家断絶を救いのちに代々徳川家の重臣を担った井伊家のもとを築き上げた
と いう物語である。直虎がいなかったらのちの井伊家は存在しなかったかもしれません。
わたしも大河ドラマを見てはじめて直虎のことを知った者の一人です。
虎松,のちの井伊直政は歴史上かなり有名で名前ぐらいは知っていましたが。
おんな城主 直虎さま、不勉強で申し訳ございません。
直政は戦国時代の終わりごろには徳川四天王の一人として活躍し、
家康をいろいろな場面で命を救った。この詳しい話は語りだしたら長くなるので省略しますが
江戸時代幕末まで代々徳川幕府の大老を井伊家から数人出してます。この井伊家が長きにわたり
またぶれることなく続いたのはみなさまよくご存知だと思いますが、
安政の大獄、桜田門外の変で有名な井伊直弼もその家系をつないでます。ここまで続くとは
並大抵のことではないでしょうね。
そこでわが桑名藩と井伊家の接点はというと、桑名藩初代城主本田忠勝も井伊直政も
徳川四天王 (酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政の四人) の一人であり
直政と忠勝はともに家康の伊賀越え、関ケ原の合戦等 天下統一の時の重要な役割を担ってました。
直政、忠勝は家康のピンチをお守りしたことが何度かあります。
関ケ原の合戦後井伊直政(その時負った傷が完治せず1602年に亡)の次男直孝は彦根にお城を築き、
本多忠勝は桑名藩主となる。忠勝の嫡男忠政が続いて第二代桑名藩主となりますが、三代目からは
家康の異父弟で家門の久松松平家、定勝が続き、のちは譜代の奥平松平家、再びのちに久松松平家が
桑名藩主を務めた。
井伊家直孝以後徳川将軍代々にわたり幕末の井伊直弼に至るまでの大老を何度か任され
配置換えが当たり前の徳川時代に、彦根からの配置換えなしにずっと井伊家が座っていた
ということはめづらしく幕末に至るまで彦根藩はすべて井伊家でした。
桑名藩本多家は2代藩主忠政のとき姫路藩に移ったがずっと変わらない井伊家はすごいことですね。
そのわけは、秘訣はまた詳しく勉強いたしましょう。
ひょっとしたら、代々家系が続く、家業が続く、商いが続く等、
一つの共通点があるかも知れませんね。
少し勉強いたします。