本年(2018年)は明治維新より150年、また桑名に大きな影響の合った「戊辰戦争」が
1868年から1889年ですから、やはり150年にあたります。
わたくしの家業も幕末、戊辰戦争、太平洋戦争、伊勢湾台風等大きな打撃を受けましたが、
今年も町のふとん屋をこつこつと微力ながら続けさせていただけることに感謝申し上げます。
私事ながら、桑名宗社さまの年末の清掃活動、また31日の大祓式、除夜祭から
年越しのまた宮守受付、また年始の宮守受付と春日神社様のご奉仕をさせていただける
機会を得ました。
話しは逆になりましたがまたその前の11月には七五三宮参りの受付のお手伝いを
させていただく機会もあり、
一年前に行った孫の七五三の時を思い出しました。どれもこれも
たいへん光栄の至りで感謝申し上げます。
このような祀りごとにかかわらせていただけますのは わたくし本人はもとより、
家族、身内の者が健康で過ごさせていただきましたからこそ、
また家業の商いが平穏無事に過ごさせていただきましたからこそ
ご奉仕させていただけことが出来るのだと神様、仏様、みなさまに感謝申し上げます。
ところで春日神社の歴史を紐解くと 正式には桑名神社、中臣神社の二社からなり、
併せて桑名宗社と呼称されることも有ります。両社は延喜式に記載された古い神社です。
昔から貴族や領主の信仰も厚く、江戸時代には桑名藩主の庇護をお受けいたしていました。
桑名神社は古代にこの地方を支配していたと伝えられる桑名首の祖天津彦命を祀っています。
地名から三崎大明神ともよばれています。中臣神社は伊勢を支配した天日別命を祀ります。
永仁6年(1298年)に春日四神を併せて祀り、春日神社と呼ばれるようになりました。
私たち桑名の町民は普段は 春日さん、春日さん と割合身近にお呼びいたしております。
それはむかしから石取祭りを通じて春日さんとはわりあい身近なお付き合いが
有ったからだと思います。子供の頃は春日神社ではなく、春日さんでした。
でも今ではだんだん神社の仕組み、しきたりなど奥の深いところを知るようになり
はづかしながらこの年になって歴史、その時代の背景などを調べますと、
また違った桑名宗社さまの大きな存在が浮かび上がってきました。
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