久波奈逍遥 (くわなそぞろあるき) 笹屋治兵衛 桑 名 七 里 の 渡 東海道五十三次で江戸から京までつなぐ街道で唯一船で宮(熱田) から桑名にわたる海路を 七里の渡として呼ばれ有名でした。42番目の宿場桑名宿に着いた旅人を迎えるのが 伊勢一の鳥居です。 後方右に見えるのは、桑名城天守閣ではなく城の周りの櫓51のうちの1つで 蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)と呼ばれています。 船の航行を監視するための櫓です。 桑名城天守閣は元禄14年(1701年)大火によって焼失し、それ以後天守閣の再建は のありませんでした。 初代桑名藩主 「本多忠勝像」 慶長6年(1601年) 徳川四天王の一人、本多忠勝が初代桑名藩主に命じられました。 2代本多忠政のとき、2代将軍徳川秀忠の長女で家康の孫「千姫」が忠政の子 忠刻に 輿入れしました。 千姫は桑名の春日神社に徳川家康を祭神とする東照宮を祀り、祖父家康の 像をおさめました。 その後、忠政は播磨国姫路藩に移りました。 桑名藩は家康の異父弟 (久松)松平定勝が3代藩主となる。(1617年~1624年) 以後1710年 松平定重まで 5代にわたって久松松平家が藩主を務めました。