能ある鷹は文化を遺す・・・松平定信の文化史
松平定信公(1758~1829)といえば江戸時代三大改革の一つ、 寛政の改革を江戸幕府老中首座として主導したことで有名で 日本史の教科書にもよく出てきました。
徳川将軍お世継ぎ問題は大変複雑で、むつかしいところが有りましたが 徳川8代将軍吉宗(1684~1751)の孫にあたる定信が 生家の田安家から一橋家に養子にいくのが遅れていれば また時の江戸幕府老中田沼意次の強い反対がなければひょっとしたら 徳川将軍になっていたかもしれないくらい徳川吉宗と深いつながりのある 位の高い方だったんですね。なにせ德川御三卿の一族ですから。
そんな定信は1812年白川藩の時、家督を息子の定家に継がせ 築地の浴恩園に移居しもっぱら定信は幼いころからの書や絵、茶道など 文化的な教養を活かした隠居生活を送ったといわれています。 1823年息子の定家は白川藩から伊勢桑名藩藩主となり もちろん父定信の作品の数かずも桑名には残っています。
今回それらも合わせ展示されていますので、興味のある方は是非ご覧ください。
〈全く知らなかったのですが、定信の江戸屋敷が築地に有ったなんて〉
松平定信の江戸屋敷は、かって東京築地に約2万坪の土地が一橋家の所有となり 老中であった松平定信(当時白川藩)がのちに譲り受け下屋敷とした。 そのうち約17,000坪の庭園浴恩園を造る。 この近くには有名な浜離宮、芝離宮、また尾張徳川家、紀伊徳川家の屋敷など 徳川家ゆかりの錚々たる藩主の江戸屋敷や庭園が造られています。
残念ながら1829年3月21日江戸では神田からの大火が発生 定信の上、中、下屋敷、それに浴恩園まで類焼いたしました。 当時江戸では火事が多く発生、一度起こると神田から築地にまでおよぶ 大火になってしまったのですね。
そんな由緒ある松平定信の一族子孫,松平定家から桑名藩の藩主になり幕末まで続いたんですよ。
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歴史がお好きな方は桑名博物館でご覧ください! 5月30日まで開催しています。 |
長島藩藩主の増山雪斎のゆかりの品も同時展示されています。 |